唯と阿と相い去ること幾何ぞ

あらゆる競争原理から降りて、何も無くって、おだやか。

ストリートファイターIIはなぜ面白かったか。または NintendoSwitch の ARMS が楽しみな理由

さて、2017年3月3日に任天堂の新型ゲーム機 NintendoSwitch が発売になります。まるで小学生のように、カレンダーをめくってはわくわくし、その日を指折り数える毎日です。

その NintendoSwitch にてカプコンより ウルトラストリートファイターII が発売されるとのことで、そのプロモーション映像を見ていると、懐かしいやらわくわくするやら。このへんでいっちょ文章にしたためておきたいなと考えた次第です。

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格闘ゲームのエッセンスと、ストリートファイターIIはなぜ面白かったか

格闘ゲームイーアルカンフーアーバンチャンピオン までその始祖を遡れるけれども、「格闘ゲーム」たるものを世に広く知らしめたというこの一点で ストリートファイターII格闘ゲームの元祖としたい。

その上で、ストリートファイターII がなぜ面白かったか、その要素を分解すると以下の点に集約されるように思う。

  • ゲーム展開がスロウであった
    • 故に、交互に行動するアクティブターン制の遊びであった。
    • 故に、反射(操作)速度よりも、相手の技に対処する「知識量」が勝ち負けの大きな要素となっていた(登場するキャラクターの数が少なかったので、学習が容易であった)
    • 故に、対人戦での「読み合い」「心理戦」が発生すやすい構造になっていた。

他にも、バカゲー的なキャラクターが目に映りやすい点、百列系の技でレバガチャ操作でもそれなりに楽しめる点など、間口が広く取ってあり小さな子供でも遊びやすい構造も挙げられる。

一方でその後の格闘ゲームは、よりお金をつぎ込んでくれるマニアにターゲットをしぼり、より刺激的でスピーディーに、よりキャラクターを増やしてボリューミーに、より高度な技を増やして複雑化していった結果、それは「格闘ゲーム」というよりは「対戦アクションゲーム」に近しいものになったと感じる。もちろん格闘ゲームたるもの、中二病的にカッコイイキャラクターや技のモーションが重要だという意見も、ごもっとも。

要約。ゲーム展開がスロウで交互に行動する猶予があったが故に、そこで知識量による技の応酬や、読み合い・心理戦が発生しやすい構造になっていた。

ならば将棋や囲碁格闘ゲームなのか。そして マリオテニスは。

将棋や囲碁が「対戦する遊び」の全ての礎となっていることは誰にも否定できない事実でしょう。そんな馬鹿な屁理屈はさておき、任天堂マリオテニス というスポーツゲームがあります。
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テニスゲームとして、ボールが行って帰ってくるまでの猶予が与えられ、その間に相手の行動を読み、次の一手に知識を総動員して対応してゆきます。

もちろんゲームジャンルもその見た目も「テニスゲーム」なわけですが、そのエッセンスを分解してみると格闘ゲームの要素を十分にみたしていることがわかります。

いやむしろ! と思うわけです。いわゆる格闘ゲームと呼ばれるゲームが「対戦アクションゲーム」化していくなかで、ストリートファイターII が生み出した格闘ゲームのエッセンスを マリオテニス こそがまもり受け継いでいるではないか! と。ストリートファイターII の真の後継者は マリオテニス ではないのかと。

嘘だと思うなら、やってごらん? やらずに言いなさんなよ。

そして NintendoSwitch ARMS へ

NintendoSwitch で 対戦格闘シューティングゲーム ARMS が発売になります。このゲームの映像を見たときにワクワクが止まりませんでした。潜むポテンシャルの大きさにドキドキしました。
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任天堂は世にある遊びを分解・分析して、その「面白さのエッセンス」だけを抜き取り、それを全く別のゲーム埋め込み再構築することを得意としています。

NintendoSwitch の ARMS に注目です。
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さて、みなさんはどうお考えでしょうか。

お客様ではない人が入り込み大声で騒いで良質なコミュニティを壊す問題

「寿司がくいてーなぁ。お、あそこに有名ラーメン店がある!おい大将、寿司をくれ。なんだと? 有名店のくせに寿司を置いていない? メニューのバリエーションが少ない、駄目ラーメン店だな。爆死www爆死wっw」「うちはラーメン屋なので・・・」

「俺は子供のころから少年ジャンプを読んでる熱烈なファンだけど、最近のジャンプは子供向けの漫画ばかりでダメだ! もっと大人向けの漫画も連載するべき! もっと従来のファンを大事にしないとオワコンwww」 「ウチは少年誌なので・・・・」

近所に住むちょっと頭のおかしい人

近年、お客様ではない人がソコに入り込んで、大声で騒ぎはじめるケースが増えているように感じます。従来であれば、そんな「近所に住むちょっと頭のおかしい人」は お客様センターや近所の交番に誘導すればそれで済んでいたのですが、近年では彼らもネットで結託します。大声をあげて騒ぎ出し、その結果それまであった良質なコミュニティが消失してゆきます。産業も疲弊します。

お客様とは。もしくは一流ホテルのコーヒーが1,500円する理由

お客様とは、ソレに正当な価値を見出し しかるべき対価を払ってくれる人のことを指します。

コンビニの前でオバサンたちの会話を聞いていましたが、言うことに「最近ではコンビニ100円でコーヒーが飲めるから、喫茶店に行く必要がないわね」とのことで、安くコーヒーを飲みたいのであれば家に帰ってインスタントコーヒーを作ればもっと安く済みます。

喫茶店はコーヒーを販売しているのではなく、「コーヒーを美味しく飲める空間」をサービスしています。だからこそ、頭のおかしい人やギャーギャー騒ぐ学生さんが入ってこないようにするために、一流ホテルにある喫茶店ではコーヒーに1,500円の値札がついているわけです。少なくとも、それに価値を見出だせない人や、その対価を支払えない人は、そもそも「お客様」と見なされていないのです。

フェラーリが数千万円するのも同じ理由です。「ブランド価値が下がるので、価値の分からない人は近付かないでください」

千と千尋の神隠し」 と カオナシ

スタジオジブリ 宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」、有名な映画なのでもはや詳細な説明は不要でしょうが、以下のような文脈で捉えて見直して観るのも一興ではないでしょうか。

神様をお客様として快適な湯と空間をサービスする「湯屋」に、本来のお客様ではない「カオナシ」が入り込みます。カオナシは砂金を使って影響力を持ち始めます。「千はまだか!千を出せ!」 カオナシは千(千尋)に熱烈な価値を見出していますが、湯屋の空間とサービスにはなんら興味を持っていません。次第にカオナシが大声で暴れ始め、その結果すでにあった良質なコミュニティが壊れ、産業が疲弊します。

物語では、主人公の千尋がカオナシを外に連れ出すことで湯屋の崩壊は免れます。

「お客様ではない人が入り込んで大声で騒ぐ問題」に我々人類はどう対応するべきか。

残念ながら、現実世界に「主人公」はいません。

一流の喫茶店や高級ショットバーであれば「頭のおかしな人」を入れないことで回避出来ます。しかし、コンテンツ産業は一般的にマグチを広く取ります。なかでも任天堂は5to95(5歳から95歳まで)を対象として「ゲーム人口の拡大」を事業の基本戦略に上げているので、「カオナシ」が入り込みがちな構造をもっています。他にはマクドナルドやディズニーなんかも同じ構造を持っています。

お客様ではない人が入り込んで大声で騒ぐ問題。良質なコミュニティが瓦解し産業が疲弊する この問題。

「post-Truth」と「フェイクニュース」の時代、我々はどう対応するべきか、そろそろ真剣に考えなければいけないときが来ているように感じます。

さて、みなさんはどうお考えでしょうか。

上から目線で批判したい 酸っぱいお年頃をなんと呼ぶべきか問題

さて、「調子に乗った大学生」ほど腹の立つ存在はありません。ここに異論は認めません。かつては自分もそうであったとか、ストレスのない生活と限りのない自由を謳歌している彼らに嫉妬しているのだとか、それらを認めた上でなお「調子に乗った大学生」ほど腹の立つ存在はありません。

腹が立つというより、酸っぱくて見ていられません。

中二病という言葉があります

中二病(ちゅうにびょう)とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。
中二病 - Wikipedia

大人になっても思春期にありがちな言動を繰り返してしまうことを「中二病」と呼んだりもするようです。

世の中に中学生ほど見ていて恥ずかしい思いをする存在はないなぁと感じます。もちろん自分自身もかつては中学生だったわけですが、だからこそ中学生というのは見ているだけでこちらがなんだか恥ずかしくなってしまいます。甘酸っぱいを通り越して、単に酸っぱくていたたまれなくなります。

なんでもかんでも批判したいお年頃もあるよねぇ

中学を卒業して、高校生から大学生、新卒二年目あたりまででしょうか、「なんでもかんでも批判したいお年頃」というのもあります。「仲間内だけで通じる言い回しや単語(スラング)を好んで使うお年頃」でもあります。

「俺って批判力があるだろう?」
「俺の意見ってオリジナリティに溢れててユニークだろ?」
「ニヒルな俺、斜に構えてる俺って、カッコイイだろ?」

そんな表情が読み取れて、あー酸っぱい酸っぱい!

そんな彼らをなんと呼び習わしたものか

社会に出て大人になってみればわかることですが、ものを産み出すのは大変なことだと実感します。その実感があればこそ、安易に「批判」なんて出来なくなります。むしろ産み落とされたものがどうであれ、結果までもっていったという並々ならぬ苦労と不断の努力に敬意を表します。

しかし一方で、「なんでもかんでも批判したいお年頃」「仲間内だけで通じるスラングを好んで使うお年頃」、そんな恥ずかしい人たちをなんと呼び習わしたものでしょうか?

高二病?大二病?社二病? どれもしっくり来ません。

とりあえず当サイトでは彼らを指して「お子様」とか「頭の悪い人たち」と呼ぶことにします。実年齢ではなく脳みその年齢をさして「お子様」です。

青い果実は酸味ばかり強くて、どうにもこうにも。

さて、みなさんはどうお考えでしょうか?

チャレンジするひとをコかして喜ぶ 異常な人に僕らはどう対処すべきか問題

さて、まもなく任天堂の新型ゲーム機 NintendoSwitch が発売になります。ゲーム産業界隈がそわそわと盛り上がっているようで喜ばしい限りです。

一方で、それをうけて「【悲報】駄目ハードwww爆死ww爆死wっw」といったような、足を引っ掛けるような発言(記事や動画)が見受けられて、彼らの精神状態と ご両親の育ちを疑ってしまいます。

子供のイジメ問題をあげるまでもなく

そもそもとして、人が嫌がる様、苦しむ様をみて喜ぶ類のひとは、最早まともな精神状態にないと判断できます。そこに信頼関係や愛情があればこそ倒錯した愛情表現にもなるわけですが、信頼も愛情もなく人の腹に刃物を突きつけて喜んでいる様は、最早 異常な人間、サイコパスに近いといっていいのではないでしょうか。

特徴

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

  • 良心が異常に欠如している
  • 他者に冷淡で共感しない
  • 慢性的に平然と嘘をつく
  • 行動に対する責任が全く取れない
  • 罪悪感が皆無
  • 自尊心が過大で自己中心的
  • 口が達者で表面は魅力的

精神病質 - Wikipedia

赤ん坊のほっぺたをペンチでひねることが出来ますか と問われても、まともな人間であれば実行出来ないし、想像するだに嫌なものです。お金が貰えたとしても、まともな人間には実行できるものではありません。

もちろん、いつもおすましな学級委員長がパンツ丸出しすっ転べばついつい笑ってしまう気持ちも理解できなくはありませんが、じゃぁ自分から足を引っ掛けに行くとか、そのさまを世界に発信してさらし者にするとか、そうなってくると最早 異常な人間のすることです。

ものを作り上げるのはたいへんなことです

社会に出て大人になってみればわかることですが、ものを産み出すのは大変なことだと実感します。その実感があればこそ、邪魔をしてやろうなんて考えられなくなります。むしろ産み落とされたものがどうであれ、結果までもっていったという並々ならぬ苦労と不断の努力に敬意さえいだきます。

任天堂に限らず、ソニーでもマイクロソフトでも、トヨタでもアップルでもディズニーでもなんでも、チャレンジする企業の足をひっかけて喜ぶ彼らは、モノ作りの苦労に対して一切の「共感」を持ち得ないようです。それは「お子様」を通り越して最早「異常」です。

チャレンジする人の足を引っ掛けて喜ぶような異常なひとにどう対処すべきか

道で刃物を振り回す異常なひとにであってしまったら?
そうです、一刻もはやく遠ざかるべきです。立ち向かおうとか、社会のルールを教えてやろうとか、そんなの無駄です。彼は異常な人なので、言葉は通じません。

異常な人からは、一刻もはやく遠ざかるべきです。

さて、みなさんはどうお考えでしょうか。

なぜ1,200円のゲームは「高い」のか(スーパーマリオ ラン)

1,200円のゲームを指して「値段が高い」とお子様たちが大騒ぎしていたようです。そもそも高いか安いかは「感じ方」の問題なので、正しいも悪いもありません。しかし、なぜスマートフォンのゲーム市場において、パッケージングされた買い切り型のゲームが「高い」と批判されてしまうのか、その構造を考えてみたいと思います。

スーパーマリオ ラン

そもそもの発端は任天堂スマートフォンタブレット向けに展開したゲーム「スーパーマリオ ラン」でした。
supermariorun.com
1,200円で買い切り型のゲームとしてリリースされた「スーパーマリオ ラン」ですが、この値段に対して多くの意見があったようです。

  • 面白ければ3,000円でも課金するけど、買い切り型のゲームに1,200円はだせない。
  • いやいや、パッケージングされたマリオのゲームとして1,200円は破格の安さ。
  • いや、これは値段の問題ではなく、売り方(提示のする方法やタイミング)の問題だったのだ。
  • むしろ、値段以外に文句のつけようがなかったということ。

様々です。

ゲーム人口とは

任天堂はながらく「ゲーム人口の拡大」を事業の基本戦略に据えています。ゲーム人口とはなんでしょうか。

「知ってる知ってる! 俺もゲーム大好きで、ヤフオクでゲームハードを安く買って、ゲームソフトも中古でたくさん買って遊んでるぜ。年に100本以上は遊んでるかな」
果たして彼は「ゲーム人口」にカウントされるでしょうか?
彼はヤフオクやゲーム中古ショップのお客様ではありますが、残念ながらゲーム産業のお客様ではありません。

任天堂は事業としてゲームを開発して販売しているわけですから、任天堂にとって「ゲーム人口」とは即ち「ゲームコンテンツに魅力を感じてくれて、しかるべき対価を支払ってくれる人たち」なわけです。

任天堂は「ゲームコンテンツに対価を払ってくれる人」を増やすべく頑張っているのです。

負けて悔しいから課金する人はゲーム人口たりえるか

一方、スマートフォンゲームで課金するひとの多くは「負けて悔しいから」「もっと勝ちたいから」「友達に自慢したいから」お金を使うわけですが、それはゲームというコンテンツに魅力を感じているわけではなく、一時的な感情を満たすことにお金を使います。

そういう意味では、彼らは「ゲーム人口」にカウントされていないひとたちなのです。

まとまらない

だからこそ、任天堂はゲーム人口を拡大するべくゲーム人口のいない市場(スマートフォンのゲーム市場)に打って出たわけです。ゲームそのものに魅力を感じていないひとにとってみれば、それが100円でも「高い」となるのは分かりきったことで、任天堂にしてみれば織り込み済みだったのではないだろうかと思うのです。

  • 任天堂はゲーム人口(ゲームコンテンツに対価を払ってくれるひと)を増やすべく頑張っている。
  • スマートフォンのゲームで遊ぶ人の多くはゲームそのものに魅力を感じているわけではなく、一時的な感情を満たすことに対価を払う人たちである。
  • ソレに魅力を感じないひとに、然るべき対価を支払ってもらうのは並大抵のことではない。
  • それでも任天堂はゲーム人口を拡大させるべく、ゲーム人口のいないマーケットに打って出た。

だから、高いとか安いとか売れたとか売れないとか大騒ぎしているお子様たちは、ちょっと視点が浅はかなんじゃないかなぁと思うのです。

さて、みなさんはどうお考えでしょうか。

なにがガチャで何がガチャでないのかよくわからない(ファイアーエムブレム ヒーローズ)

さて、世間ではガチャだガチャだとお子様たちが騒がしいのだけれど、はて何をもってして「ガチャ」で、なにをもってして悪とするのかわからなくなってしまったので、ちょっと考えてみようじゃないか、と。

ファイアーエムブレム ヒーローズ

fire-emblem-heroes.com

ことの発端は、任天堂が2017年2月2日にリリースするスマートフォンタブレット向けゲーム「ファイアーエムブレム ヒーローズ」。これに抽選・確率でキャラクターを手に入れる遊びが組み込まれており、この機能を指して「ガチャだ!ガチャだ!」と騒いでいるようす。

一方、任天堂の発表であるニンテンドーダイレクトファイアーエムブレム ダイレクト)を確認すると、以下の点が読み取れる。

  • どのキャラクターが手に入るのかは抽選方式(大枠の武器属性は選択可能)
  • 同じキャラクターであっても「レア度」は異なる。
  • どのキャラクターであっても「最高レア」まで育成可能。
  • 過去作のキャラクターを使いたいのであれば抽選方式により手に入れる必要があるが、どうやらそれは必須ではない模様。

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こうなってくると、「ファイアーエムブレム ヒーローズ」における「レア度」は、最早「そのキャラクターのレベル(成長度合い)」程度の意味合いでしかないように見受けられる。通常のガチャにおける「レア度」はそのまま「アイテム(もしくは武器、カードなど)の性能・スペックの強さ」と同じ意味合いをもっているのに対し、面白い意味付けであるなぁ。

”どのキャラクターであっても「最高レア」まで育成可能”という、この点を見逃すと、頭の悪いお子様みたいな議論しかできなくなってしまうので、留意願いたい。

ガチャとはなんであろうか

さて、では「ガチャ」とはなんであろうか。大別して二つの定義付けが出来るように思う。

  • 定義A 射幸心を煽らなくとも「抽選・確率方式」であれば、それ全てを「ガチャ」とみなす。
  • 定義B 過度に射幸心を煽るものが「ガチャ」であり、適度なものであればそれは「遊び」として許容される。

定義A(射幸心を煽らなくとも「抽選・確率方式」であれば、それ全てを「ガチャ」とみなす)において、ならば「御みくじ」や「福袋」、「雑誌のプレゼント企画」なども抽選・確率方式なわけだけれど、「この店は新年早々ブランドもののバッグでガチャを導入している!けしからん!不適切!不適切!」と騒ぐのでしょうか。どうなんですか?

今回の「ファイアーエムブレム ヒーローズ」では、特定のキャラクターに愛着を持つプレイヤー向けて抽選方式が用意されている一方で、そこに興味を持たないひとはそのままスルーしてプレイできるように見受けられる。「レア度」は「キャラクターの成長度合い」程度の意味しかもっておらず、全てのキャラクターを「最高レア」まで育成可能だとしたら、それは「過度に射幸心を煽っている」とは言い難いように思われるが、さて定義B(過度に射幸心を煽るものが「ガチャ」であり、適度なものであればそれは「遊び」として許容される)において、今回はなにが問題になってくるのであろうか。

さて、ではこれまで一般的に言われる「ガチャ問題」は、そもそもとして何が問題であったのか。

  • 過度に射幸心を煽り、重課金させる構造になっていた → ゲームというコンテンツそのものに対価を支払わせるのではなく、「負けて悔しい」「もっと勝ちたい」「みんなから尊敬されたい」といった一時的な感情に対してお金を使わせる構造になっていた
  • ある一定以上の性能をもったアイテム(または武器やカード)を手に入れないとゲームそのものを楽しめない(すすめることができなくなる)構造になっていた

まとまらない

はてさて、今回「ガチャだ!ガチャだ!不適切!」と騒いでおられるお子様たちは、何を問題視して、どこに向かいたいのでしょうか。さっぱり理解できません。

さて、みなさんはどうお考えでしょうか?